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バンクーバーのこの「ヒト」に注目!第12回目、VFXアーティスト・佐々木稔さん

   
  

バンクーバーのこの「ヒト」に注目!
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コンピューターグラフィックに関する世界最大のイベント『SIGGRAPH』が、再びバンクーバーで開催されました。

SIGGRAPH(Special Interest Group on computer GRAPHics)とは、映画やゲーム、建築・医療・教育に至るまで、各国最新のCG技術・作品が集結する『年に一度の大カンファレンス』 日本からの出展・作品も数多く見られ、毎年高い評価を獲得しています。

今回はそんなSIGGRAPHの開催にともなって、VFX(ヴィジュアルエフェクト)アーティストとしてアメリカ~カナダで活躍してきた 佐々木稔さん にインタビューをさせていただきました。 SIGGRAPHのこと、海外で働くということ、CG業界の傾向などを語ってもらいました。

Q.1994年、アメリカのOrlandoで初めてSIGGRAPHを体験されたそうですが…。

その頃自分は、東京の映像会社に入社して2年目で、仕事も評価され自信満々の時期でした。CG業界も全盛期で、SIGGRAPHでもものすごい数の出展があり、大きな刺激を受けました。当時の日本のCGレベルはまだあまり高くなかったので、「3DCGでここまでできるのか!」という驚きと共に、「自分の技術もこのレベルまで高めていきたい!」という強い想いを持つきっかけになりました。

 

Q.SIGGRAPHに行ってから、仕事のやり方に変化はありましたか?

仕事がうまくいきすぎて調子に乗っていた頃だったので、取り組み方がすごく変わりましたね。会場でもらってきたパンフレットなど、すごいと思ったものを全部持ち帰り、スクラップしてデスクに貼りました。「あそこで見てきたレベルに合わせよう!」と士気を高めていました。

 

Q.当時日本ではどんな仕事をされていたんですか?

テレビに送出される文字を作るベンチャー会社でしたが、放送業界がものすごく盛り上がっている時代で。入社してすぐ、「おまえはデザインだけでなく、絵も描けるんだろう」と、グラフィックの部門を任せてもらいました。当時は会社に絵を描ける人がおらず、ソフトウェアを活かせてなかったんです。

photoshopを初めて使わせてもらった時は、衝撃でしたね。それまでは実際に絵の具で絵を描いてきたので、「undo機能がある! やり直しが効く!」と感動しました。今までの苦労を考えたらなんでもできる、と、頭の中で描いたことをコンピュータ上でばんばん描いていきました。

 

Q.最初に作ったテレビ用のグラフィックは何だったんですか?

NHKの地震速報用のサンプルを作ったんですが、気合いを入れすぎて、新宿の街の高層ビルがボロボロに倒れているリアルな絵を描いてしまい……(笑)。「こんなもの使えるか!」と担当者に怒られましたが、絵の技術は認めてもらえました。それからテレビ番組用のデザインの仕事がたくさん来るようになったんです。

 

Q.それから8年間、番組のオープニングタイトルや放送中に流れるグラフィックなど、あらゆる映像を担当されるわけですが、日本での仕事で一番印象に残っているものは?

長野オリンピックのグラフィックですね。HD放送専用初のハイビジョン国際放送だったので、NHKの一大プロジェクトでした。3000枚以上のグラフックと、モーショングラフィックをすべて任され、統括、デザイン、プレゼンテーション、制作を一人で担当しました。

放送業界のバブル時代が終わり、影響を受けはじめていた頃だったので、社内でも「ここで一気に旗揚げを!」という気概がありました。赤坂にある会社の屋上にプレハブを建て、スタッフは泊まり込みでした。大変でしたが、いい経験でしたし、局長から感謝状までいただいて。喜んでもらえたことが本当にうれしかったです。

 

Q.もともとグラフィックや映像の仕事をしたいと思っていたのですか?

まったく考えていませんでした。でも高校の時に両親が入院し、大変な状況だったので、とにかく自分の取り柄を活かして働く技術を身に付けないと、ということで美術の専門学校に行きました。子どもの頃から写生会で賞を穫ったり、図工と体育だけは得意だったんです。アルバイトをかけ持ちしながらの超貧乏生活の中、必死で通いました。200円のラ王が食べたいけど、100円のどんべいで我慢したり、なんとか死なないようにと(笑)。

実際の勉強は、ものすごくおもしろかったですね。特別なスキルよりも、とにかくアートに関する基本を叩き込まれました。基本がしっかりできれば、何をやってもうまくいく。逆に基本ができなければ、壁を越えられない時が必ず来る。

 

Q.学校で習ったことは、今の仕事でも活きていますか?

平面構成と色彩概論は、映画の仕事でも非常に影響があります。また、スーパーリアルという授業では、リキテックスという絵の具を使って極限まで写真に近づける絵を描くんですが、そこで一気に目が覚めました。本物の絵の具で学んだことが、デジタルで描く絵作りにものすごく活きています。

学生時代に稔さんが描いたリアルイラスト。

学生時代に稔さんが描いたリアルイラスト。


 

Q.海外を視野に入れ始めたのはいつ頃からですか?

入社当時から、海外で賞を穫るための映像を作っていました。その中で、ソフトウェア会社のイベントのオープニング映像として作成したものを個人作品にアレンジし、絵コンテ、ストーリーから、音楽以外のすべてを担当しました。その映像がSIGGRAPHでも入選し、各国から興味を持ってもらうことができました。

海外からのオファーもあったのですが、当時は英語もできなかったですし、行く気もなくて。ただ、一社だけ、「とにかく一度遊びにおいで」と飛行機代を出してくれた会社がありました。2週間の滞在中に、そこで働く人と会って、遊んで、いくつか仕事もさせてもらいました。その会社は僕の技術だけでなく、英語が話せないことも認めた上で、「うちでやらないか?」と言ってくれました。いったん帰国したのですが、その後、ここでやろうと決意しました。

 

Q.日本での地位も確立されていた時期に、すべてをゼロにして海外へ……。実際に行ってみてどうでしたか?

最悪でした(笑。死ぬかと思うほどつらかった。どんなに技術があっても、コミニュケーションできなければ何もできない。仕事のレベル自体は日本でやってきたことと変わらないんです。それなのに、実力をまったく発揮できない。日本でバリバリやってきた自分とは雲泥の差で。くやしくてくやしくて、一度、誰もいない夜のオフィスで机を蹴飛ばして泣いたことを覚えています。

 

Q.その状況を、どうやって克服していったのですか?

忙しくて英語学校にも行けなかったので、仕事前の朝7時から、English tutorのところへ通いました。それから、日本人とはつるまず、日本語、日本の映像、雑誌、すべて絶ちました。話や趣味が合わなくても、とにかく会社の人間と一緒に飲みに行って、「今なんて言ったの? スペルは?」とひつこくルームメイトに聞いてメモしたり。毎日毎日、その繰り返しでした。

通じるようになってきたのは、3年目くらいからかな。ちゃんとコミニュケーションして、やりたいように仕事ができることに、自分でも感動しました。

 

Q.アメリカの会社と日本の会社、仕事のやり方に違いを感じましたか?

どのパートも全部自分でやる日本とは違って、アメリカの仕事は作業が細分化されています。それぞれのカテゴリーの専門に任せることができるので、効率もよく、クオリティーも上げられる。ただ自分では、一人で全部を任せてもらって仕上げる方が好きかもしれません。

 

Q.その頃から、プライベートも楽しめるように?

そうですね。アメリカ、特にカリフォルニアのフレンドリーなノリは肌に合っていました。仕事中、何も用事がなくても肩を叩いて「How’s going?」で会話が始まったり。レストランやバーでも店員とすぐに仲よくなったり。「英語で普通に話してる! 気持ちいい!」と自分でも感動しました。

 

Q.仕事を楽しむ余裕も出てきたということですね。

はい。当時の業界は非常に盛り上がっていて羽振りがよく、CM、ミュージッククリップ、映画など、いろんな仕事をさせてもらいました。

中でも印象に残っているのは、ある映画のオープニングを全部任されたことです。ILM(Industrial Light & Magic)の元マットペインターでもあった監督自らがチェックしにきてくれて、毎回自分の仕事を気に入ってくれました。彼とはすごく仲よくなり、会社としてのクレジットと、マットペインターとしてのクレジット、ふたつのクレジットをくれました。LAでは、本当にいい時代を過ごせました。

 

Q.そんな中、バンクーバーに移ることになったのはなぜですか?

2008年のリーマンショック以来、業界内でも小さなプロダクションがどんどん潰れていきました。会社にもしわ寄せが来ていたので、万が一のためにデモリールを用意していたんです。実際に10年務めた会社がクローズして。

いくつかオファーがあったのですが、LAに本社のあるDigital Domainがバンクーバーに支社を出すとのことで、そこに行くことに決めました。BC州がCG業界の会社を誘致していたので、多くのアメリカ企業がバンクーバーに拠点を作り始めた時期でした。

Photoshopを使ったハンドペインティング。

Photoshopを使ったハンドペインティング。


 

Q.バンクーバーでの仕事はどうでしたか?

会社の半分は、アメリカ、ヨーロッパ、アジアなど、映画経験のある海外アーティスト。もう半分は、「ついに映画の仕事ができる!」と鼻息を荒くしたカナダ人。カナダのアーティストはほとんどが映画未経験とはいえ、元々スキルはあるんです。経験者としてLAからやって来たので、若くて技術のあるハングリーな連中と出逢えたことで、初心に返れましたし、「俺も頑張らなきゃ!」と、刺激されましたね。

バンクーバーにも才能を持った人はたくさんいるし、スキルも経験も年々あがっている。LAで自分はベテランだと安心している人達は、あぐらをかいていられないと思いますよ。

 

Q.アメリカでの仕事の違いは感じましたか?

どの会社も最初は、カナダにはメインの仕事を送ってこないんです。様子見で、失敗してもいいようなものばかりを回してくる。経営者としては当然の判断ですが、「なめられてるな」と思いました。でも、クオリティの高いものをあげると、次はもっといいショットをもらえる。そうやって少しずつ変わってきました。

今ではほとんど、アメリカでもカナダでも変わらない仕事ができているんじゃないかな。それに加えてカナダ人は、「LAに追いつこう!」という気概がある。本当はすでに同じレベルなのに、一生懸命に追いつけ追い越せでやっている。リサーチ力、努力、予習復習能力がすごく高いと思います。

 

Q.現在のVFX業界はどんな状況でしょうか?

一番変わったのは、単価が安くなったこと。映画に使われるVFXの予算自体は同じかもしれませんが、会社がアーティストに払う金額がすごく下がっている。正社員ではなく、フリーランスとしての短期契約が増えていますね。ちょっとでも腕が悪いと、次の契約はない。試食会をしている感じですよ。才能のある人だけを発掘しようとしているんです。完全に実力主義ですね。

また、安い労働力を求めて中国やアジアに発注を回したりという傾向も増えています。数年後にはアジアの会社もスキルが上がってくるはずなので、大きな脅威になるでしょうね。

 

Q.そんな厳しい状況の中でも、多くの日本人アーティストが活躍していますね。

同じ日本人でも、日本の業界で苦労しながら英語も獲得してここに来た人と、なんとなく海外にいて、海外でしか働いていない人とでは、ハングリー精神が違うように思います。日本の企業は、一人が担当する仕事量も多いし、なおかつ質の高いものを要求される。一方でお金は安いから……。相当な修羅場ですよ。

もともと日本人は、腕がよく真面目。そしてすべての工程を自分でできる。海外での弱点は、コミニュケーション能力だけ。それさえできればこの業界でやっていけるし、もっとスキルも伸びる。

 

Q.コミニュケーション能力というのは?

日本人はよく、自分を主張する人を「日本人っぽくないよね」と尊敬する傾向にありますが、そういったアメリカナイズが必ずしも良いとは思いません。日本での社会経験や文化は、海外でも必ず活きます。こちらの文化に100%合わせる必要はない。日本人としてのいい所は大事にした方がいい。

ちゃんと結果をだせば、ちゃんと認められるし、引っ張ってくれる。むやみにアピールすればいいということでもないし、かといって謙虚になりすぎる必要もない。でしゃばりすぎず、場の空気を読み、結果を残す。そういう日本人らしいスマートさを活かしていけばいいと思います。

 

Q.CG業界で働きはじめて20数年。佐々木さんがこれから挑戦していきたいことは?

Environmentのジャンルをもっと勉強して、アートディレクションをしていきたいですね。単に大きな映画のクレジットを残すのではなく、一緒に働いた人が、「Minoryと一緒にやってよかった」と言ってくれる結果を残していきたい。そのために、常に自分のスキルを磨くよう努力はしています。ソフトウェアの変化も非常に激しいですが、世界中のCGギークと話して最新情報を得たり、情報収集も欠かせません。

細やかな描写は本物の写真と見まがうほど。

細やかな描写は本物の写真と見まがうほど。

 

Q.今年はバンクーバーで開催されるSIGGRAPHですが、見所は?

SIGGRAPHはもともとコンピューターグラフィックスの学会です。近年は細分化され、ヴィジュアルエフェクトに特化されていますが、基本的には各国の有名大学や企業が最新のテクノロジーを発表する場所。他にも、映画のメイキングオブをはじめ、ワンシーンの絵作りを解説してくれるブースでは実際に働いている人の生の声が聞けますし、期間中はプログラマーやアーティストのための様々なクラスも受けられます。

ここ数年は規模が縮小されているものの、内容はすごく質が高い。プログラマーの人達はもちろん、業界に興味にある人は一度足を運んでみることをオススメします。ボランティアの学生たちは無料で見れる枠もあります。

 

Q.海外のCG業界で働きたい若者へのアドバイスをお願いします。

今は業界自体がすごく不安定な時期なので、ゴールを持つことが大事です。「これがやりたい」というゴールをしっかり持っていれば、それを糧にしてツライ時期を乗り越え、次に行ける。ゴールなくこの業界に入ると大変な想いをする。

大きなゴールでなくていいんです。「このプロジェクトに関わりたい」、ということであれば、具体的にそのための準備をする。デモリールを作るにしても、このプロジェクトならこういうシーンがある。だからこういう映像を見せよう、この会社に出そう、というように。

ゴールを絞らないと、会社側に伝わらない。採用する方は、アーティストのレジュメにある映画のタイトルは気にしないんです。なぜならワンショットに何十人もの人が関わってるから。それよりも、その人自身が何をできるか、何をしたいのかが大事。会社はそれを見ようとしている。自分が望む会社にアピールできるようにしっかり準備をすることですね。

 

Q.CG業界に限らず、海外で働きたい日本人に必要なことはなんでしょう?

とにかく英語力! 特にリスニング力ですね。話す方はたいていできるんです。発音が悪くても、なんとかなる。バンクーバーの人は優しいから、聞こうとしてくれる。でもこちらが聞きとれないと、何にも前に進まない。生活するにも仕事をするにも、リスニングできないと本当に苦労します。逆に、リスニング力があればなんでもできる。

日本人ほどまじめにきっちりやる人種は世界にいないですよ。失敗から学び、より良いものを作っていこうとする「改善」という文化は日本人ならではだと思います。

今やどこの国の人達も、日本人はスゴい、おもしろい、と注目している。それは過去の日本人が頑張ってきてくれたおかげなんです。自分達もそれに感謝して、北米ナイズされすぎず、日本人の長所をちゃんと持っていたい。海外だからこそ、礼儀、「儀」のある国の文化を大切にして欲しいし、自分もそうありたいと思っています。

 

お話を聞かせていただいて、ありがとうございました。

 
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Profile
佐々木稔(ささき みのる)
1971年 東京都生まれ。


1993年 東洋美術専門学校卒業後、TECHNONET co.,ltd 入社。

国営/民放放送局のスポーツ、バラエティ、報道などのGraphicDesignを多数制作。
オリジナル映像『freedom』(1998)『ImaginationSight』(1999)はSIGGRAPHのAnimation Theaterに入選。各国の番組、AWARDに招待される。

2000年 TECHNONETを退社後、(米)CAFEFX Inc. へ入社。

2010年 カナダへ。Digital Matte Painter として DigitalDomain Vancouver へ入社。

ILM Vancouver、Method Studioなどを経て、再びDigitalDomain Vancouver で Digital Environment Lead として活躍中。

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